5時から作家塾

第6章  書店から見たあのベストセラー


5.売上もファンタジー 『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』

(1)上巻

 2003年10月23日。私は一生この日を忘れない……。
 って、一体私は誰だ。つうか、全国の書店員の皆様はこの日を忘れることはないハズ。なぜならば日本の出版・書店業界の最大の「お祭り」だったからでございます。
 そう、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の発売日でございます。世界中の老若男女を魅了してやまないこの「ハリポタ」シリーズ。苦節一年待ちに待った最新刊が出ようものなら祭りは確実。

 さて、この最新刊。今までの刊とは違った画期的試みがなされています。一体なにかと申しますと、それは、
「完全買い切り事前予約制」
 なるものでございます。要約しますと
「欲しい分は前もって言ってくれればチャンと入れてあげるけど、そのかわり返品はダメよ!」
 つうことでございます。つまり、万が一売れ残った場合の在庫リスクは書店が負うってことざます。ま、現状の委託制度が返品フリーなかわりに欲しいもんが入ってこない! という困ったモノでございまして。ちなみに、第1巻の『賢者の石』なんぞは初回配本"1冊"ですよ! "1冊"って……。
「配給かよ!」
 第3巻めの『アズカバンの囚人』で、やっとこさ40冊は入るようになりましたが、それでも発売日は殺気立っておりました。
 買い切り返品不可だろうが取りあえず沢山入るに越したことはナイ。背に腹は代えられない、後先は考えるな! とばかりに私は今までの販売冊数を参考にして注文書に「360冊」と書き込み、ええいままよ、とFAXしたのでございます。

 さて、発売日も目前にせまった段階でのお客様の予約数は二百数十名にもなんなんとしておりました。これで普通の委託制、配本数十冊だったりしようものなら阿鼻叫喚地獄が展開されるのは必至でございます。

 そんな発売間近のある日、日販からある通知が来ていることに気づきまして。一体何事かと読んでみますと、何やら『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』が前日配送になるということで(通常は当日の早朝に店に届きます)。それ自体はこちらとしても前準備が出来るという事でまことに助かるのでございますが、ここでちょっとヨコシマな考えをおこし、
「発売日前日22日に店頭販売」
 などというフライング行為に及んだ場合のペナルティーが記されてございました。内容を要約すると、
「始末書提出及び、謝罪文を出版社・取次に持参の事」
 ですと。要は詫び状もって謝りにこいと。静山社はともかく、
日販の役員サマに囲まれるっつうのはまことにもってそら恐ろしいシチュエーション。想像しただけでもチビりそうでございます。指が無くなると日々の業務にも支障をきたしますし、つうのはウソです。正座はさせられるのでしょうか?
 とりあえず危険なイバラの道を避け、石橋を叩いて渡ります。出る杭は打たれます。


(2)下巻

 22日の昼下がり、ついに運命のブツが入ってまいりました。何がと申しますと『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』がっ! 一箱につき6冊(6セット?)入った小ブリな箱が、ななな・なんと60箱!!
 バックヤードにて山積みになったハリポタの山は圧倒的存在感を誇示しておりました。しかしこの山、恐らくこの日一日だけのことで発売日の夜にはきっとぽっかりと何もなくなってしまうのでしょうが。
 「カッターナイフ使用禁止」と注意書きが書かれ、「ハリー・ポッター〜」の名が冠されたまさにハリポタスペシャルエディション専用ダンボール箱まで作られている気合の入りようというか(気合の入れ所間違っているような気がしないでもないですがいかがなものでしょう)。

 そしてついにXデー。
 当日の早朝のテレビたちはまるで面白がるように、「ハリポタフィーバー」(死語)でございました。
 紀伊國屋書店、八重洲ブックセンターといった大手書店は早朝からオープンという気合の入りようで、「日本一早い」と謳っている八王子くまざわ書店では、早朝5時の販売解禁を待って100人もの「ポッタリアン」が列をなしたという、まさに「ある意味」期待通りの展開。

 入荷日=発売日という刷り込みがされている書店員は、あれば売れるというのが解っているモノを1日バックルームに寝かせて置く、ということに非常に苦痛を感じるもので、昨日は何度かこれらの山を売ってしまいたい衝動にかられましたが、同時に脳裏に「謝罪文を持参して、実話ド○ュメ○トの表紙に載っていそうな風体の某○販役員氏に小一時間問い詰められる」なんてシチュエーションの地獄絵図が浮かんでまいりまして、そこで自制心を保っておりました。

 そんなこんなで日本書店史に残る歴史的1日を迎え、私は一体どんな1日になるものかと、ある意味悲痛な面持ちで出勤致しました。つうか、書店員の正社員なるもの、今日10月23日を休もうなどというのは
「12月24日クリスマスイブは彼女とデートなので休みます♪」
 よりも罪深きものと思いますがいかがでしょうか。
 で、出勤していた私を待ち受けていたもの。それはド平日の田舎書店でござますので、開店前から『ハリポタ』を買い求めるお客の列・列・列・そしてまた列……ではなく――書籍スタッフ全員(いちおう任意)「魔女帽子のコスプレ」……。
 皆一様に黒地に金星の尖った三角帽子をかぶっているその様は、筆舌に尽くしがたくも耐えがたく。テレビで目の当たりにした開店前の「列・列・そしてまた列」が、今まさに目の前で展開されるのかと思いきや、実際はサイレントスタート。ポッタリアンの「列・列・列」はそこには無く……。

 しかし、開店してみると果たしてこれが平日中日の午前中風景なのか?! と、疑問視したくなるくらいのカオスというか混沌ぶりで、午前中わずか3時間の間で売れたハリポタ約50冊あまり(今回は売行き単位を"冊"で表すべきか"セット"で表すべきか悩ましいのでございます)。

 午後・昼下がりになると、売場は平常さを取り戻し、「魔女帽子のコスプレ」で通常業務をこなしているその様は滑稽なこと極まりなく、それを私はぬるく見守っておりました。

 日も傾いた頃、今度は「入荷次第電話にてご連絡さしあげますので」と"言ってしまった"方々への電話連絡を始めねばならないというワケで、別室にて2名掛かりのツープラトンでにわかコールセンターを展開。3時間ほど経ったのちやっとこさほうほうの体にて二百数十名余り一通りの電話連絡を終えたスタッフのお姉&お嬢がもどってまいりました。ゴクロウサン。

 時は夕刻。チミたち仕事中ずううっとハリポタに心奪われていたのでありませんか? という感ありありの勤め人の皆様方が来る人来る人皆一様に、
「ハリポタ! ハリポタ! ハリポタ!」
「ハリポタ! ハリポタ! ハリポタ!」
という展開。

 さての売上冊数が260冊にならんとしている所で事件発生!!
 何と!! お客様の予約を受けたハズが予約になっていないというモレが発生したではないか!! あわてて店頭在庫から! と思ったらなんと、店頭在庫最後の1セット……。滑り込みセーフでありました。これがもしも完売直後であったならせっかくのファンタジーがスプラッターホラーに早変わりでございます。
 気が付いたらスタッフ誰もコスプレしとりませんが。つうかもうそれどころでない。店頭販売分を初日にて売り尽くした後の平台、ポッカリと空き地化し、1・2・3巻だけが物寂しげに残されておりました。昨日あれだけバックルームの邪魔物と化していた『ハリポタ』箱の山はもう20箱強(予約分)を残すのみとなりまして。

 数日後に店頭販売分の追加入荷があったのですが、これが「18冊」というまさしく焼け石に水。気休め程度。小学生の小遣い以下。落差激しすぎ。もう罵倒の言葉ならナンボでもわいて出ますが。

B(3)おまけ

 予約入りまくり、訊かれまくり、売れまくりの本は今までに多数御座いました。思い出してみますと、『ダディ』、『サンタフェ』、『プラトニックセックス』、『五体不満足』、『だからあなたも生き抜いて』、『遺書』、etc……。
 しかし、それらの本は発売直前、若しくは発売後の広告展開・販促などで急激にブレイクしたものばかりなのですが、『ハリポタ』は違う。一年掛けてじっくりと波動砲の如くにエネルギー充填しまくって、貯めて貯めて貯めまくったエネルギーの爆発がどんだけすさまじいか見せつけられた思いでございます。まさしく書店ビッグバン(←違う)。ま、ハリポタが日本書店界の救世主になってくれればこれ幸い。おかげで私の店も潤いました。もう静山社に足向けて寝られません。

 それにしてもこう来る人来る人『ハリポタ』だと1億総ポッタリアン、という感じがしてなりません。ヴィヴァ230万部!(意味不明)、あまりの天文学的数値に、この売上冊数自体がファンタジーではないかと思わずにいられない私でございます。
 この本を買われた皆さんはきっと「ファンタジー」なのでしょうが、この日勤務の書店員の皆様はバイオレンスアクション、もとい企業ドキュメントではないかと。「10・23書店Xデーを追跡!」なんてドキュメンタリーが放送されたりして。フライングした命知らず・チャレンジャー書店は果たしてあったのか??

 後日談。日本全国の書店店頭で、「仕入れ過ぎた」ハリポタがダブつきまくっていることが問題に。その数35万部とも。さささ35万部って……。これがハリポタではなく、「トホホ書店員はホンと年中無休 35万部在庫ダブつき。店主悲鳴をあげる」なんてコトになったら……。いや、ナイナイ。
 ま、返品出来ないし、気長〜に売るしかないのでございます。5巻めはどうなることやら? と、4巻の山を見つめながら考えてみたりして。




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